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卒業までに、しておくことは

 高校最後の冬。
 私たちが、高校生でいられる最後の季節。
 迫ってくる切なさに負けないよう、私たちは、限られた時間を過ごすのに必死になっていた。




 一月中旬。
 つい二、三日前に、最初の関門であるセンター試験を乗り越えた私たちは、つかの間の解放感にひたっていた。

「おおー、寒っ。何でこんなに寒いんだろうね」
「冬だからですぞ、実春(みはる)殿」
「ああ、本当寒い!もうここから動けない!」

 ストーブの周りを三人で陣取って、手をかざしながら暖を取る。少しでも近くに寄ろうと、足は、ストーブの周りに貼られた立ち入り禁止のテープのギリギリのところで止まっている。かぶりつくようにストーブにあたる、そんな私たちの姿を見て、先生は、少し離れたところから笑い声をあげた。

 美術室や視聴覚室といった特別教室がある別館の三階、そこに今いる生物準備室はある。夏に部活を引退してから、早六ヶ月。それ以来来ていなかった準備室だが、まったく変わっていなかった。唯一変わったことと言えば、部屋の真ん中に、大きなストーブがでーんと置かれてあったことぐらいだろう。けれど、これも毎年冬のお決まりの光景だ。
 去年の今頃は、ここに入り浸って暖まるのが日常だったのに……去年との違いを考えると何だか不思議な気分になった。寂しいような、切ないような、そんな気持ち。受験生なんだな、と改めて思う。

「で、受験生諸君。君たちはこんなところにいていいのかな?」

 つい今しがた再認識したところを突かれて、思わず肩がビクリと跳ねる。ほかの二人もそうだったようで、肩を震わせると、顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。

「ま、まあまあ、先生?センターも終わったことですしね?」
「そうそう!ちょっと息抜きってことでね?」

 ほかの二人が苦し紛れの言い訳を並べる。それを聞いて、私もうんうんと頷いた。先生は、そんな私たちを見て、小さくため息をつく。

「本当に君らは……。センター終わってからの頑張りで差がつくと言われなかった?」

 耳に痛い言葉が出てきて、思わず先生から視線を外す。それは、センターが終わった後、担任から耳にたこができるほど聞かされた言葉だった。もっとも、聞いただけで、気にしてはいないから、今ここに来ているのだが……
 ぐっと言葉につまる私たちを見て、先生はまた深々とため息をついた。……さっきからため息をついてばっかりじゃないだろうか、そのうち息はきすぎて気体になっちゃうぞ。

「でも、息抜きも大切ですって!それに、先生も元部員たちが来てくれて嬉しいでしょ?」
「いや、全然」

 私の左隣でストーブにあたっていた真由加(まゆか)が、ぱっと顔を上げて尋ねる。しかし先生は、それを聞いてすぐに一刀両断した。

「ひっどい!仮にも元部長と副部長と……あれ、実春何かしてたっけ?」
「会計ですう!全然仕事のなかった会計です!」

 私の右隣、真由加の向かい側にいる咲の言葉に、むくれながら答える。すると咲は、そうだったと言ってけらけらと笑った。まさか本当に忘れていたわけじゃないだろうな、と思ってじとりと見やれば、咲はついっと私から眼をそらした。

「ちょっと!その反応は、もしかして本当に忘れてたの!?」
「だって、本当に実春全然仕事してなかったから。会計なんて役職自体忘れてた」

 ごめんと言って、また咲は笑い声をあげる。よく通るその声は、狭い準備室に響いた。笑い過ぎだと思いつつ、不意に視線を変えれば、肩を震わせて笑いを堪えている真由加が眼に入る。

「真由加も何で笑ってるのよ!」
……ご、めん。いや、私も会計とか忘れてたから」

 むしろ会計とか必要あった?と言いながら、ついに堪えきれなくなったようで、ぶふっと吹き出して笑う。その言葉に、むっとしたが、何も言い返せないのだから悔しい。
 実際、会計なんて仕事などひとつもなかったのだ。生物部と言えど、準備室にこもってひたすら喋ってるだけの部活。実験機材を買ったり、合宿をしたりするわけでもないから部費だって徴収しない。これで、会計の仕事がある方がおかしいだろう。

「もう!二人とも笑い過ぎだから!自分たちだって仕事なんてなかったくせに!」
「いやいや、私たちはちゃんと仕事してたから。ねえ、咲?」
「そうそう。どっかの誰かさんと違って」

 ねえー、と互いに顔を見合わせながら言う二人を、ジロリと睨み付ける。こんなことを言っているが、二人だって仕事らしい仕事などほとんどなかったのだ。
 名目上部長と副部長だが、生物部の活動内容と言えば、ただ生物室で喋るだけ。部長らしく部員をまとめたりもしたことがないし、副部長も、部長のサポートらしいことなんてしたことがない。……本当に私たちは三年間何をしてたんだろうか。思い返せば、全然活動していないじゃないか……

「はいはい、どんぐりの背比べはやめ。君らの代は全然活動してないんだから、比べることなんてはなっからないでしょ?」
「私たちの代はって……ひょっとして、今の子たちは何かしてるんですか?」

 左隣で真由加が尋ねる。私と咲もそこは気になっていて、真由加と三人揃って先生をじっと見つめる。すると先生は、困ったような微笑を浮かべながら、肩を上げた。

「いや、全然。君らと一緒だよ」

 その言葉に、少しほっとする。いや、ほっとしちゃダメなんだろうけど。これで、私たちの代より活動してるなんて言われたら、先輩の威厳に傷がつくところだった。

「なーんだ、結局一緒なんじゃないですか」
「おさぼり生物部ー!」
「君らもだったでしょ?」

 咲と真由加、そして先生が軽快なやりとりをしている。そんな光景を見ながら私は、自分の胸に言いようのない気持ちが押し寄せてくるのを感じた。
 何だろう、この気持ち。言葉になりそうでならない。手に掴めそうで掴めない。何とももどかしい気持ち。


「さて、と。いい加減帰ろうか」
「そうだねえ。……実春も行くよ」

 咲の声かけで、真由加が傍に置いてあったスクールバッグを手に取って立ち上がる。それにつづくように、咲も立ち上がった。

「じゃあ先生!近々また来るからねー!」
「受験が終わるまで来なくてよろしい」
「ひっどー!二年生たちは毎日来てるのに!差別だ差別!」
「これは、区別って言うんです」

 ストーブの横を通り過ぎて、入口へと向かう二つの足音が聞こえる。
 立たないと。立って、待ってーって言いながら行かないと。そんなこと、頭ではわかっているのに、なぜか足が一ミリも動かない。

「おーい、実春ー。何やってるの?」
「あ、ストーブが恋しいの?わかるよー。でもほら、そろそろ帰って勉強しないと」

 入口まで行っていた二人が、またストーブの近くまで帰って来る。真由加が左腕を、咲が右腕をとって無理やり立たせようとする。けれど、それに反抗するみたいに、私の足はしゃがみ込んだままだった。

「実春さん?どうかしましたか?」

 先生までもが、心配して傍に来てくれる。
 けれど、自分でもどうしてと思うぐらい理由がわからなかった。
 ただ言えるのは、まだここにいたいということ。それだけ。

「あ、ひょっとして受験勉強したくないとか?わかるよー。頭痛くなってくるよね」

 おどけたように言いながら、真由加が頭を押さえるポーズをする。それを見て咲もつづけた。

「そうそう!それに、私たち大学離れ離れだもんねー」

 ぴくり。その言葉に、反射的に顔が動いた。え、何?と、急に顔を上げた私に二人が驚きの声をあげる。

「ねえ、私たち、何で受験勉強してるんだろうね」

 無意識のうちに、口から疑問がもれた。

「え?そんなの大学に行くために決まってるじゃない」
「うん、それはそうなんだけどさ、……大学生になったら皆離れ離れになっちゃうんだよね?」

 どうして、離れ離れになるとわかっていながら、別れに向かって勉強をしているのか。
 言葉にしなかった疑問は、二人にも伝わったようで、二人とも顔をうつむかせた。

 大人が聞いたら、くだらないと鼻で笑うかもしれない。けれど、私たちからしたら、今いるここが世界のすべてで、日常で、そこから離れるなんて想像もつかなかった。
 高校を卒業して、皆と離れて、ひとりきりで新しい世界に飛び込む。それは、なんて不安で、寂しくて、怖いことなんだろう。


 しんとした静けさが、準備室に流れる。言葉にしたらもっと不安になるとわかっているからか、誰も、何も喋らない。そこに、ぽわんと気の抜けた声が響く。

「ちっちゃいことで悩んでるね、君たち」

 声のした方へ、三人が一斉に眼をやる。すると、そこにはいつも通りのほわっとした笑みを浮かべた先生がいた。

「全然ちっちゃくないですよ!大問題です」

 先生の言葉に、ぷうっと頬を膨らませて、むくれたように真由加が言う。それに同調するように、私と咲も首を縦に振った。
 先生は、そんな私たちを見ながら、机へと近づいて行き、置いてあったマグカップを手に取って飲む。そして、ふうっと息をつくと、また元の場所へマグカップをもどした。コトリと小さな音が鳴る。

「ちっちゃいことだよ。今生の別れじゃなしに、今なんて電話もメールもあるんだから、いつだって連絡がとれるじゃないか。話したい時に話せるし、会いたい時に会える。便利な世の中だよね」
「それは、たしかにそうですけど……

 そこまで言って、真由加は視線を下におろした。何か言いたいのに言葉が上手く見つからなくて、どう言えばいいかわからない。そんな風に見えた。
 真由加の言いたかったことは、何となく私にもわかるような気がした。
 卒業してしまっても、いつでも連絡は取れるし、会うこともできる。そんなこと言われなくてもわかってる。けれど、そうじゃない。そうじゃないんだ。
 いつでも会えるって言っても、今みたいに毎日会えるわけじゃない。
 朝、教室に入れば、いつも通り友達がいて、おはようと挨拶を交わす。
 休み時間には、一つの机に集まって授業の文句を言ったり、眠たーいとぐちったり。
 昼休みには、お弁当を手に寄りあって、とりとめもない話に花を咲かせる。
 そして放課後、また明日ねーと言って、家へと帰る。
 そんな何でもない一日。三年間、当たり前のように過ごして、意識したこともなかったような日々。それが、どれだけ大切な時間だったのか、今ならわかる。

 もっと、大切に過ごせばよかった。もっと、たくさん一緒にいればよかった。もっと、もっと、もっと。今更思っても仕方がない思いが、次から次へと溢れ出してくる。
 さっき、言葉にならないと思った気持ちが、今なら何と言えばいいかわかった。


……寂しい」

 一度声に出したら止まらなくなった。
 寂しい、寂しい、寂しい、さびしい、さびしい、さびしい、さびしい!
 卒業なんてしたくない。みんなと離れたくなんかない。だけどこれは、言ってもどうしようもないことで、自分の中で折り合いをつけないといけないことで……
 だけど、寂しいものは寂しいんだ。悲しいものは悲しいんだ。

「寂しいよねえ」
「うん、さびしー」

 はっとして顔を上げる。いつものあけっぴろげな笑顔に、切なさが加わった真由加の笑顔、片側の口角だけがきゅっと上がっている咲の微笑。二人の笑顔が、私を見下ろしていた。

「さびしい……?」
「もっちろん!」
「当たり前じゃん!」

 思わず聞き返すと、間髪入れずに同意の言葉が返ってきた。
 そっか、みんな寂しいんだ。そう思うと、なぜだかほっとした。自分だけが寂しがってるわけじゃないと、わかったからかもしれない。

……”寂しいと思える出会いがあるのはいいことだ”」

 誰に聞かせるともなく、ぽつりと先生が言葉をおとす。え?聞き返す三人の声が重なった。
 先生は、腰までの高さのキャビネットに浅く腰かけて、淡く微笑みながら私たちを見ていた。

「誰の言葉かは忘れたけれど、気に入ってるんだ」

 そう言って先生は、私たち三人の顔を一人ずつ順に見ていく。その目は、いつもの眠たそうな目とは違って、とても真っ直ぐだった。

……寂しいと思える、か」
「いい言葉だね」

 咲が小さく呟く。そのあとで、真由加が明るい声で言った。頷く咲。私も、うんと頷き返す。
 いい言葉だ。心からそう思えた。

「いい仲間に出会えたね、三人とも」

 先生が、凪いだ海のように穏やかな声で言う。それを聞いて私たちは互いに顔を見合わせた。えへへ。誰からともなく照れ笑いがこみあげた。

 寂しい。そう思えるのはなんて素敵なんだろう。離れがたい。そう思えるのは、なんてすごいことなんだろう。
 今はまだ寂しくても、笑っていようと思った。だって、これはめったにない、最高の出会いだったという証なのだから。

「ねえ、帰りにクレープ食べてかない?」
「おっ!いいねえ」
「私、プリンとアイスにしよーっと!」

 教室の入口に向かいながら、三人でこれからの寄り道の相談をする。それを聞いた先生のため息が、後ろから聞こえてきた。

……君たち、勉強もするんだよ」

 一斉に、私たちは教室の中へと振り返る。そして、声を揃えて言った。

「はーい!」














 

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