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とどまる彼女と行く私

 もう卒業かー。急に感慨深くなって呟けば、卒業かーと隣からも聞こえてきた。やまびこのようなそれに、横を向く。隣のブランコでは、すみれが歯を見せて笑っていた。

「それ、何回も言ってるよ」

 

 指差しながら、すみれがからかうように言う。ころんと丸い爪は、太陽を反射して柔く光った。卒業式だから。なんて、理由になるのかわからない理由で、マニキュアを塗ってきたと言っていたことを思い出す。

 マフラーはいらなくなった。相棒だったヒートテックも、タイツも脱いだ。自転車だとまだ風が少し冷たいから、手袋はもう少し手放せそうにない。冬から春に変わる移行期間。気温が上がり、蕾が膨らみ出して、街が一日ずつ彩りを取り戻す中、私たちは黒いセーラー服に別れを告げた。

 

「でもほんと早いよねー。もう大学生だよ」

 

 綺麗にプリーツのついた黒いスカートから、白い脚がするりと伸びている。すみれがブランコを漕ぐたび、それが曲がっては伸び、曲がっては伸びするのが、やけに視線を引きつける。淡く薄桃に色づいた膝小僧が、ひどく鮮烈に脳裏に焼きつく。

 

「早かったよね」

「うん。もうこの制服も着ないかと思うと、なんか寂しいな」

 

 胸元で結んだ紺色のスカーフを、マニキュアで光る指先が摘む。ダサいってぶーぶー言ってたじゃん、と言えば、それとこれとは別なの、とすみれは唇を尖らせた。

 

「百合子は県外だよね?」

「うん、大阪」

「いいなー、私も県外行きたかったー」

 

 すみれが脚をバタバタさせる。そのたび、ブランコが耳障りな音をたてる。ギーギー鳴くそれは、悲鳴のようにも泣き声のようにも聞こえて、私は思わず視線を逸らす。

 焦げ茶のローファーが目に入る。今日で履くのは最後になるそれは、地面にぴったりと吸いついていた。まるで、どこにも行けないとでもいうように。

 

「でも、百合子と大阪ってなんか似合わないよね」

「失礼だなー」

「えーほんとのことじゃん。馴染めるか心配。友達できなかったら、いつでも私が行くからね?」

「そう言うすみれの方が、案外馴染むのに苦労したりして」

 

 唇の片端を吊り上げて言う。すみれは、ないない、と顔の前で手を振りつつ、その実どこか不安げだった。

 大丈夫だよ。そう声をかけたい気持ちを抑え込む。心配する必要なんて、どこにもないのに。さっき言ったことと正反対のこと。けれど、それが私の本心で、紛れもない事実だった。

 百合とすみれでお揃いだね。高校一年生の教室、窓際の席、私たちの最初の出会い。クラスメイトたちが緊張を顔に滲ませながら、手探りで声をかけ合っていたあの時。隣の席にいたすみれは、臆すことなくごく自然に、そう話しかけてきた。露わになった額が差し込む光を受け、白く発光して見えたのを今でも覚えている。

 同じ中学出身の子が誰もいない、と心細さが見え隠れする顔で言った彼女は、その朗らかさですぐにクラスに溶け込み、友人を作っていった。自然と人が寄ってきて、クラスの中心にいる女の子。普通なら、私が接点を持つことなんてない存在。けれど、百合とすみれ、たったそれだけの共通点がいたくお気に召したらしい彼女は、いつも、どこでも、私の隣にいてくれた。それが私には誇らしく、同時に申し訳なくもあった。

「うわー百合子がそんなこと言うから緊張してきた!」

 ブランコの揺れを止めたすみれは、頭を抱えて呻く。白い指の隙間で、細い黒髪がさわさわ揺れる。墨を塗りたくったかのように濃い黒。卒業式が終われば、すぐに染めに行くと言っていた。

 クラスが一度も離れなかった私たちは、三年間ずっと一緒で。すみれがいるところには私もいて、私のいるところにはすみれがいた。それは私にとってはこの上なく嬉しく、輝く日々だったけれど、すみれにとってはきっと違う。私が傍にいることで、彼女の世界を狭めた。優しい彼女は、そんなこと夢にも思わないだろうけれど。

 

「あーあ、私も百合子と同じ大学にすればよかった」

「ダメだよ」

 

 そう言った声は、自分でも驚くほど冷たく、頑なだった。すみれも、眼球がこぼれ落ちそうなほど目を見開いてこちらを見ている。

「ほら、先生も、友達と一緒だからとかの理由で選ぶのはやめなさいって言ってたし」

 

 慌てて適当な理由をでっちあげる。いつもより早口になった声。けれど、すみれはさして気に留めなかったらしい。だよねーと眉を下げて笑った。

 

 この街に留まり続ける彼女は、けれど私よりずっと遠くへ行くだろう。髪を染め、鮮やかに爪を彩り、長く伸びた脚でどこまでも世界を広げていく。目を閉じずとも、そんな姿が浮かんで仕方がない。私のことなど、思い出さぬ日がきっとくる。

 ブランコがまた揺れ始める。座ったまま漕ぐすみれは、脚を上へ上へと突き出している。まるで空に届かんとでもするように。

「でもさ、やっぱり寂しいから、帰省の時は遊ぼうよ」

「うん」

「あ、大阪も行きたいな! 通天閣とか上ってみたい!」

「うん」

 

 たこ焼き、ビリケンさん、大阪城、串カツ。大阪の行きたいところ、見たいところを挙げ始めるすみれ。私はそれに、ただただ頷く。

 目頭は熱くならない。声も震えない。夢のような時間は終わること。それはずっと前からわかっていた。けれど寂しさだけは消えてくれなくて。嫌だ、と声なく呟いて、心に堅い鍵をかけた。百合子。そう言って振り向く彼女の目に、いつもの笑顔が映るように。

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