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師匠と弟子と優しい時間

 師匠の朝は早い。
 まず、午前5時に起床。目覚ましが鳴る前にきっちり目を覚ます師匠は、その数秒後にポッポー、ポッポーと目覚まし時計についた鶏を模した人形が鳴きだすのを、きっちり三回だけ聞いてスイッチを切る。なぜなのかと一度だけ聞いたことがあるが、特に理由はないようで、単なる習慣らしい。
 隣で寝ている私を起こさない様、慎重にベッドから出る。こういうところは細やかなのにな、と普段の怒鳴り声を思い出してため息をつく。怒鳴らせる方が悪いという考えは、この際無視する。
 そのまま師匠はバスルームへ向かい、身支度を済ませる。ザーザーッと水が流れる音を聞くこと5分。タオルを首にかけた師匠がもどってくる。前髪から垂れる滴が、床に小さな染みをつくっている。相変わらず顔洗うのが下手だなあと思っていると、ニャーオッと耳元で声がした。
 うつぶせのまま顔だけ反対側に向けると、飼い猫ジンジャーのドアップがあった。くるくるとした大きな金色の眼に私を写すと、またニャーオッと一鳴きする。

「しーっ、起きてるの気づかれちゃうでしょ」

 ひそひそ声で注意すると、不思議そうにジンジャーは首を傾げた。わかってくれたか?と思った瞬間、またニャーオッと高い声で鳴く。そして、ゴロゴロ喉を鳴らしながら顔に擦り寄ってくる。
 嬉しい、嬉しいけど、顔に毛がついてちくちくするし、力が強くて結構痛い。いっつも寄ってこないくせに何でこんな時ばっかり寄ってくるんだ。これじゃ、起きてることに気づかれて。

「おい、起きてるのか?」

 なんてこと思った瞬間、師匠の声が響いた。こちらへ向かって歩いてくる音がする。大変だ。起きてることに気づかれたら、すぐに朝の作業に駆り出される。あと一時間は安眠を貪るつもりでいたのに!

「ソラ?」

 師匠が上に乗ったのか、ベッドがキシリと音を立てる。必死で狸寝入りを決め込んでいたのに、その音でぴくりと肩が跳ねてしまう。

「おい、起きてるんだろ?」

 今度ははっきりと確信を持った口調で聞かれる。知らんふり知らんふり。しばらくしたら諦めて作業に取り掛かりはじめるでしょ。
 はあっと大きなため息が鼓膜をかすめる。そして師匠がベッドから降りたのか、またベッドが音を立てて軋んだ。やっと諦めたか。そう思ってほっと息をついた瞬間、包まっていた掛け布団がいきなり上へ飛び上がった。

「さっむい!」

 春の朝の肌寒い空気に突然さらされ、思わず大声が出た。首だけ動かしてキッと犯人を睨みつけると、犯人は悪びれもせずこちらを見つめ返した。

「師匠!寒いんですけど!」
「やっぱり起きてるじゃないか。さっさと作業を手伝え」
「起きてたんじゃありません!起こされたんですう!可愛い弟子になんてことするんですか、ほらさっさとお布団返してください」

 未だぷかぷかと空中に浮いている布団に向かって手を伸ばす。すると、師匠は人差し指を私の鼻先に突きつけた。驚いて、伸ばしかけていた手をピタリと止める。

「今すぐベッドから出るか、俺に引きずり出されるかどっちか選べ。……まあ、俺も人間だ。寝起きで調節が上手くできずに床に叩きつけられても文句は言うなよ?」

 うう、そんな答えが決まっているような質問をするなんて反則だ。けれど、師匠はやると言ったら確実にやる。仕方がない。鼻先からピクリとも動かない人差し指を見てため息をつくと、観念したことを示すために両手を上げた。それを見て、師匠は満足したように頷いて腕を下ろした。

「ユリアの花を取りに行くから、暖かくして下に降りてこい」
「はいはーい」







 魔法。それは魔法陣一つ、呪文一つで無から有を生み出すことができるもの。無限の可能性が秘められたもの。
 そんな魔法を扱うことができる者は、魔力を持つ者に限られている。いわゆる魔力保持者と呼ばれる者は、国民の3000人に1人の割合で存在している。
 ここリュアヌ、通称魔術都市はそんな魔力保持者たちが暮らす街だ。この国の子どもは満6歳になると魔力測定を受け、基準値に達した者は自分と同じ属性の師匠のもとで寝食を共にし、修行することになる。

「ねえ師匠ー、休憩まだですか?」
「さっき休んだだろ?」
「さっきって一時間前じゃないですかー」
「その魔法陣の書き取りが終わったらな」

 一体何分後よ。手元にある白紙の紙と魔術書を見てため息をつく。
だいたい、魔法陣が書ける必要性などゼロに等しいのだ。呪文さえ唱えれば魔法が発動するのだから、日常で魔法陣など書く機会はない。せいぜい、魔法道具を作る時に使うか、トラップを仕掛ける時に使うぐらいだろう。

「やる意味あるのかな……

 絶対に聞こえないだろうと思ってぼそりと呟いた声は、どうやらばっちり師匠の耳に届いていたようだ。こちらを振り返り、ギロリと睨み付けられる。ただでさえつり眼なのに、それが強調されて一層怖い。

「そういうことは、基本ができるようになってから言え」
「はーい」

 渋々ながらも返事をすると、師匠は満足したのか姿勢をもとに戻した。ゴリゴリとすり鉢で何かをすり潰す音が聞こえ出す。師匠の横には今朝摘んだばかりのユリアの花が摘まれていて、おそらくそれをすり潰しているのだろうと思った。
 地属性である師匠は、普段は自宅の一階で薬屋を営んでいる。若干20歳という若さながらもその実力は確かなようで、店には毎日結構な人数のお客さんが訪れる。
 けれど、今日はどうにも客足が伸びないようで朝からまだ誰も訪ねてきていない。まあ、手伝いが減るし私にとってはいいことなんだけれど。それに、薬屋が暇だっていうのは皆が健康だってことだからむしろ歓迎すべきことだと思う。
 静かな店内に響くのは、師匠が作業する音と私のペンが走る音だけ。それは何とも心安らぐ静けさで……



コンコンッ

 いつの間にかつい居眠りしてしまっていたみたいで、急に聞こえてきた物音に現実に引き戻される。手元の紙を見てみると、ミミズのような線が走っていて思わず天を仰いだ。もう、最初からやり直しだ!この魔法陣、複雑だから書くのに時間かかったのに。

コンコンッ

 腹立ちまぎれに、紙をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に投げ入れる。その間もさきほどの物音は響いた。何なのと思って音のする方を向けば、棚と棚の間の窓、その窓の外に白い鳩が止まっていた。鳩は、眼が合うときょとんとした様子で首を左右に動かす。ピンク色の足には、深緑色の足輪がはめられていて、それと反対側の足には紙が結び付けられていた。それを見て、私は慌てて立ち上がる。

「師匠!ファンベルト様から注文です!」

 足輪から推察される鳩の飼い主を伝えながら、窓へと駆け寄る。背後で椅子が動く音が聞こえた。おそらく、師匠が準備に立ったのだろう。
 年季の入った上げ下げ窓は片手では開かず、両手を添えて思いっきり上へと跳ね上げる。窓が開くのと同時に、風が勢いよく部屋の中へ入り込んできた。

「どうどう!待って待って、すぐ取るから!」

 鳩は早くしろと言わんばかりに、中に入ってもしきりに羽ばたきを繰り返す。そのたびに白い羽根が空中に舞う。
 何とかして腕に止まらせて紙をとれば、鳩はもう用はないといった風に、開け放していた窓からすぐに飛び立っていった。可愛くないな、そう思いながら遠ざかっていく姿を見送る。手にしていた紙を開けば、見慣れた丁寧な文字が眼に飛び込んできた。

「ファンベルト様!ケナシの実とハツの葉を粉末にしたものをそれぞれ500gです」
「了解。在庫があるからすぐに配達して」

 指示を出しながら、師匠は薬箪笥の引き出しの中から薬包紙を5つ取り出す。引き出しの表面に張られたラベルを見ながら、別の引き出しからもまた5つ取り出す。薬包紙は一つ100gで包まれているから、これでそれぞれの注文分になる。

「おい、ちゃんとポンチョ着て行けよ」
「えー、あれ暑いんですもん。ちょっとそこまでですし、別にいいじゃないですか」
「だめだ。決まりは決まり。勝手なことは許さん」

 けち、そう心の中で毒づきながら、渋々コートスタンドに掛かっているポンチョを取って羽織る。胸のところに五芒星の刺繍がされた白いポンチョは、見習い魔術師が外に出る時に着用することを義務付けられたものだ。なんでも、一般の子どもと見分けやすくするためらしいが……このポンチョとても暑いのだ。一応夏用と冬用とで分けられているが、いい生地で作られているのか夏用でも暑い。できれば着たくないぐらいだ。

「師匠ー、ちゃんと着ましたよー。荷物渡してください」

 もう用意ができたのか、師匠は商品が入ったかごを持って入り口で待っていた。ポンチョの裾をはためかせながら駆け寄ると、師匠は私の姿を見て少し眉を寄せた。
 何よ、ちゃんとポンチョも着てるのにこれ以上なんの不満が……。そう思っていると、空いていた方の手が頭へと伸ばされた。反射で肩をすくめれば、師匠の手はそのまま頭上を通過して首の後ろまで伸びる。そして、ポンチョについているフードを掴むと勢いよく私の頭に被せた。わふっと思わず変な声が出てしまう。

「一人の時はフードも被っとけ」
「もう、心配性ですねー」

 ちゃかすように言えば、師匠はうるさいと呟いてそっぽを向いた。その唇は少し前へ突き出されていて、照れているんだろうなと思った。
 急にフードを被されて、乱れてしまった髪を直す。この国では珍しい白い髪は、ポンチョの白とよく合って保護色のようになっていた。否応にも周りの視線を集めてしまうこの髪も、こうしていれば目立たないだろう。

「それじゃあ師匠、いってきまーす」

 勢いよく扉を開ける。扉に付けられたカウベルがからんころんと鳴るのに混じって、いってらっしゃいという師匠の声が聞こえた。





 スカートをはためかせながら駆けて行く。真っ青な空に、暖かな日差し。そのもとで走るのはなんて気持ちいいんだろう。平日だからか通りの人影はまばらで、すいすいと進むことができるのも何とも嬉しい。思わず鼻歌を歌い出しそうになってしまう。
 店を出て、六軒先にある曲がり角を曲がってちょっと行った先。そこに、さっきの注文主レオーネ・ファンベルトが営む「魔法道具店 ステラ」はある。白い白亜の壁が印象的な、洋風の洒落た店構えが女性魔術師に人気の店だ。もっとも女性に人気な理由はそれだけじゃないけど。
 走って来てついていたスピードのまま曲がり角を曲がる。目印でもある白い壁が見えて、ますます足がはやる。それと同時に、店の前にいる人を見て思わず眉根が寄った。向こうは手にした箒で地面を掃いていたが、ふとこちらに顔を向けた。私の姿を目にして、向こうも顔を曇らせる。
 もう!なんで今日に限って外にいるのよ!こんな全力で走ってるとこ見られたらまた嫌味言われる。かと言って、今歩き出すのもなんか意識したみたいで嫌だし……
 そうこう考えているうちに、店の前まで辿り着いていた。

「スカート履いてるのに走るな!それでも女子か」

 憎たらしいまでに整ってる顔にせせら笑いを浮かべて、彼は言い放つ。それを聞いて、眉根がますます寄るのを感じた。

「何よその言い方!いきなり注文してくるから、急いで来てあげたのに!」
「急ぐにしても普通スカートで全力疾走しないだろ!この猿女!」

 グギギギギっとお互いに睨み合う。そんな中、この場に似つかわしくない妙に間延びした声が響いた。

「まあまあ、二人とも落ち着いて」

 声のした方を見ると、そこには柔らかい笑みを浮かべた少年がいた。さっきまで睨み合っていた彼とそっくりな顔をしているが、こちらはぽやんとした雰囲気を纏っている。
 私としたことが不覚。どうやら、宿敵と言っても過言でない彼に気を取られて、もう一人いたのに気づいていなかったようだ。

「ヨハン、女の子にそんな言い方しちゃダメだろ?」
「おんなあ?こいつが?」

 はん、と音が聞こえそうなほど見下すような笑みを浮かべて、彼は言ってのける。
 ほんとこいつは……。キッと睨みつければ、彼も負けじと私を睨み返した。

 さっきから睨み合っているこの少年が、ファンベルト様の弟子で、私と犬猿の仲であるヨハン。
 そして、仲裁に入ったもう一人の少年が、同じくファンベルト様の弟子で、ヨハンの双子の兄であるカナンだ。
 この双子、一卵性で見た目はよく似ているのに、性格は正反対。カナンは温厚で紳士的なのに、ヨハンときたら口は悪いし態度はでかいしで、とにかく私と馬が合わない。

「はい、じゃあこれ注文分」
「いつもありがとうね、ソラ」
「いえいえ、代金はいつも通り月末にまとめて請求するから」

 かごの中から品物を取り出して、カナンに手渡す。彼は、ふわっと柔らかな笑みを浮かべて大切そうにそれを受け取った。
 なんて紳士的なのかしら!思わずその対応に感動してしまう。
 いや、ひょっとするとこれが一般的な対応なのかも知れないけれど、あの小憎らしいヨハンの後だと、余計に際立って見える。血が繋がった兄弟、ましてや双子なのにどうしてここまで違うのか。爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。

「何にやにやしてるんだよ、ブサイク」

 顔に出てしまっていたのか、ヨハンが怪訝そうに私に尋ねかける。

「ブサイクって、あんたの方が!」

 ブサイクでしょう!そう言おうと、ヨハンの方を振り返って思わず口を噤んだ。彼の顔を見てしまえば、ブサイクなどとはとても言えなくなる。
 何せ美形なのだ。この兄弟。雪のように白い肌に、きらめくような金髪。鼻筋はスッととおり、眼もぱっちりと綺麗なアーモンド形。お人形のように整った顔立ちをしている。加えて、手足もすらりと長いとくれば、完璧というほかないだろう。
 その容姿から、女性の注目を集めまくっているようで、さっきのこの店が女性に人気の理由の一つは、彼らのことだ。

「あんたの方が?」

 続きが言えないのを気づいているだろうに、にやにやと笑みを浮かべてカナンは先を促してくる。
 キッと睨み付けながらなんて切り返そうかと考えていると、おーい、とぽやんと気の抜けるような声が空から降ってきた。
 三人揃って同時に、上を見上げる。すると、箒に乗った人影が見えた。逆光になって誰かはわからず、眼を凝らして見ていると、急に箒が降下しはじめた。慌てて後ろに飛びのいて場所を空ける。すると、箒はそこにゆっくりと吸い込まれるように着地した。

「いやー、ちょうどよかった。ステラさんのとこに郵便でっす!」

 箒に跨った男性は、よく見れば見知った人だった。特徴的な赤い帽子に、赤い斜め掛けショルダーバッグを掛けた彼は、ここら一帯を担当している郵便局員さんだ。
 ショルダーバッグの中から郵便物を取り出すと、カナンに郵便物を手渡す。すると、私の存在に気づいたのか、私を見てあっと声を上げた。そして、もう一度ショルダーバッグを開けて中を探りはじめる。何だろうと思って見ていれば、中から束になった封筒を取りだした。

「ちょうどいるし、師匠さんに郵便物渡しといてもらえます?」
「もちろんですよ。お疲れさまです」

 箒の彼のもとへ近寄って受け取ると、封筒を裏返して差出人を確認する。全部で五通あった封筒すべての差出人を確認したが、待ち焦がれている相手からの物は一通もなかった。思わずため息が漏れてしまう。
 それに気づいたカナンは、事情を知っているからか慰めるように肩を優しく叩いてくれた。

「仕方ないよ、向こうも忙しいんじゃないかな?」
「でももう3ヶ月」
「何だお前、まだあの孤児院の子なんかと連絡取ってるのか?」

 何の気はないのだろう、いつも通りのヨハンの言い方。けれど、気分が沈んでいたからか妙に気に障った。

「”なんか”って何よ。私にとっては家族も同然の子なの、見下したりしないで」

 むっとして言い返せば、ヨハンはそれ以上何も言えなくなってしまったようで黙り込んでしまった。そのことに、いくらか気が鎮まる。

「あのー、孤児院っていうと、リュアヌを出てすぐにある街のですか?」

 それまで黙っていた郵便さんが、おずおずといった風に言葉を発する。頷いて肯定すれば、ぱっと表情を明るくして勢い込んで話を続けた。

「それだったら、明日の魔力測定会にそこの子が来るらしいですよ!測定対象者と付き添いに……確か、アリューシャという子が来るらしいです」

 その名前に、思わず胸がどくんと鳴った。

「郵便さんっ!それ本当!?」
「は、はいぃ!今日その孤児院に郵便の回収に行った時に言ってたんで……

 郵便さんに掴みかかるようにして尋ねると、彼はその勢いに驚いたのか腰が引けそうになりながらも答えてくれた。どうやら確かな情報のようで、ほっと胸を撫で下ろす。それと同時に、押さえきれない嬉しさが胸の中に広がった。
 何せ、彼女なのだ。この3ヶ月返事を待ち続けた手紙の主は。一向に返事がなくて心配してたけれど、これでもう心配ない!何せ明日会えるのだから。
 そうと決まれば、じっとしている暇はない。急いで師匠のところへ帰って、明日の外出許可をもらわなくては!

「郵便さん、ありがとう!じゃあ、私急いで帰らないと」

 知らせてくれた郵便さんにお礼を言って、慌てて踵を返す。すると、待ってとカナンが呼び止める声がした。振り返ると、カナンはにっこりと笑みをたたえてこちらを見ていた。

「よかったね。明日会えることを祈ってるよ」

 その優しい言葉と表情に、思わずつられて笑みが浮かぶ。ありがとう!と言って、私は師匠の店への道を駆け出した。






「だめだ」

 店に帰って早々切り出した話に返ってきたのは、想定外の言葉だった。当然許してくれると思っていただけに、予想外で思わず思考が止まる。

……ど、どうしてですか?」

 ようやく絞り出した声は、自分でもびっくりするぐらい弱弱しかった。それを聞いても、師匠は私の方をちらりとも見ない。

「明日が納入の注文がたくさんあるだろう?それを放って私事で外出するのは認められん」
「そ、そんなの私がいなくても、師匠ならできるじゃないですか!それに、会えるのは明日だけなんです」

 お願いします。そう言って頭を下げると、はあっと師匠が深くため息をつくのが聞こえた。顔を上げれば、作業していた手を止めて師匠が私の方へ視線を向けるのが見えた。師匠の鳶色の眼に見つめられる。

「もうお前と彼女とは住む世界が違う。会いに行くことは認められん」

 その言葉に、グサリと胸を突き刺されたような気がした。思わず、自分の唇を噛む。それが怒りによるものなのか、悲しみによるものなのかは自分でもよくわからなかった。ただ一つわかったのは、師匠にだけは、誰に何と言われても彼にだけは言ってほしくなかったということだ。

……我が名のもと、その力を示せ【水(ウォーター)】!」

 夢中で、大きな声で呪文を叫ぶ。こんな時だからか、いつもは少しずれて発動される魔法もしっかり狙い通り師匠の頭上に発動された。空中から大量の水が師匠に注がれる。

「師匠のバカ!大っ嫌い!!」

 そう言い捨てて、言い逃げのように二階へと駆け上がる。どんな顔をしているのか見るのが怖くて、師匠の方は見ることができなかった。






 気まずいまま一日が終わり、その翌朝。
 師匠は、私をいつものようには起こさなかった。いつもだとすぐ起きないと布団を剥がすくせに、起きているかと確認をしただけで、私が起きる気配がないことを悟ると一人でさっさと下に降りて行ってしまった。その行動が妙にいじましくて、心が動かされそうになったのは秘密だ。
 でも、今回は師匠が全面的に悪い。

……まさか、あんなこと言う人だと思わなかった」

 布団の中でぼそりと呟いた声は、そのまま布団の柔らかな生地の中へと吸い込まれていった。

 3000人に1人という稀少さから、魔術師は憧憬や羨望の的となり、無条件にかしずかれる。そのことにいい気になって、一般の人に対して傲慢な態度をとる魔術師も少なくはない。
 けれど、私はそんな人間が一番嫌いだった。
 孤児院育ちだからかも知れないが、他人から見下されたり、偉そうにされたりするのが許せない。孤児院で育っていようが、魔術師であろうが、一般人であろうが人は人だ。そこに、身分の差も何もない。
 師匠はそのことをわかってくれていると思っていた。だからこれまで尊敬して、信頼していたのに・・・。
 ”住む世界が違う”。その言葉に裏切られたような気持ちになった。

「けど、そう思ってたってことだよね……

 はああ、と思わず重いため息が口から洩れた。それに心配したのか、ジンジャーが隙間から布団の中に顔を突っ込んできた。ニャアーンと鳴きながら、私の頭に額を擦りつけてくる。その優しさが、じんと胸に染みた。
 くよくよしてても仕方がない。今は、何としてもアリューシャに会わないと。今後師匠とどう付き合っていくかはそれから考えよう。
 そう決心すると、いくらか気分が楽になった。気合を入れるためよしっと呟くと、下にいる師匠に聞こえないようにゆっくりとベッドから降りて準備をはじめた。



 魔力測定会のある日の街は、いつもより人通りが多くなる。測定対象者が来ることだけでなく、物珍しさから対象者の付き添いとして多くの人が来るからだ。
 今日も例外ではなく、こっそりと裏口から通りに出ると、大勢の人が通りを行き来していた。
 魔術都市リュアヌは、大きな湖の中に浮かぶ島だ。外界との繋がりは、まわりを囲む陸に渡された8つの橋。測定会の日は、外からの出入りはどの橋でも許されているが、アリューシャが使うであろう橋は一つに絞り込むことができた。それは、孤児院がある街に架けられている橋。幸いにもここからすぐのところに、その橋と繋がっている大通りがある。
 両頬を軽く叩いて気合を入れると、早速そこに向かって走り出す。人は多いけれど、小さい身体のおかげで人の間を縫ってスイスイ進むことができた。
 大通りは、店の前の通りよりも余計に人でごった返していた。測定会が開かれる会場へと、人波は流れるように進んでいく。そんな中を眼を皿のようにして探していると、ふと視界に懐かしい亜麻色がよぎった。

「アリューシャ!」

 思わず大声で名前を呼ぶ。すると、彼女は驚いたように肩を揺らした。どこから聞こえたかまではわからなかったのか、立ち止まって辺りをキョロキョロと見回す。やがて、私の方へ視線が向く。私の姿を見とめると、彼女は驚いたように眼を丸くした。
 嬉しさで、自分の顔に笑みが広がるのがわかった。じっとなんてしていられなくて、人ごみを掻き分けて彼女のもとへ駆け寄る。人が多くてわからなかったが、近づくと彼女の隣には見慣れない小さな女の子がいるのに気づいた。たぶん同じ孤児院の子だろう。

……ソラ、どうして?」
「久しぶり!昨日知り合いに聞いたの、今日アリューシャが来るって。もう、全然返事くれないんだから!心配したのよ?」

 目の前にいるのが信じられないように、アリューシャは何度も私に、上から下まで視線を巡らせた。

「そ、そうだったんだ……
「私、アリューシャに会ったら話したいことがたくさんあったの!あ、そうだ、院長先生は元気?相変わらず年甲斐もなく子どもたちとはしゃぎまわってるのかな?手紙でも書いたけど、こっちは師匠が気難しくてねえ」

 まくしたてるように話していたが、アリューシャの様子がおかしいのに気が付いた。昔みたいに、笑って色々話してくれると思っていたのに、その表情は晴れない。まるで戸惑うように私を見ていた。

「アリューシャ?」
……いい加減にして!」

 いきなり大きな声で怒鳴られて、驚いて肩が大きく跳ねた。自分でもびっくりしたようで、アリューシャははっとしたように口を手で覆った。
 気まずい沈黙が降りる。それを最初に破ったのはアリューシャだった。

……いい加減にしてよ。どうしてわからないの?返事だって出せなかったんじゃないの、出さなかったの。本当なら今日だってあなたと会うつもりなんてなかった・・・どうしてわかってくれないの!?」

 聞いたことのないような大きな声で怒鳴りつけられる。一瞬、自分が話しているのが誰なのか、わからなくなりそうになった。
 アリューシャは、大きな声を出して疲れたのか肩を上下させている。その両手は、色が変わるほど強く強く握りこまれていた。

「そりゃ、ソラはいいよね。みんなから憧れられる魔術師になって、こんなに綺麗な格好して満ち足りた生活を送って。だからわからないんでしょ?そんなソラと会う私の気持ちなんて」

 胸に溜め込んでいたそこまで言われてはっとした。アリューシャと自分がしている格好の差に。
 アリューシャも隣の少女も、この時季には寒いぐらいの薄いワンピースを身に着けている。それもところどころ薄汚れていて、着古しているのか裾もところどころほつれていた。
 対して自分は――支給されているとは言え、立派な生地でできた真っ白なポンチョに、汚れひとつないスカート。ポンチョの下に着ているブラウスだって、皺ひとつない。
 全然違う。そう思った。改めて気が付いてしまうと、何も言えなくなってしまう。それに気づいたのか、アリューシャははんと鼻で笑った。その刺々しい態度に、心臓がキュッと鷲掴みにされたような気がした。

「もう、住む世界が違うのよ」

 それは、昨日師匠が言ったのと同じ言葉だった。けれど、昨日以上の重みをもって私の心に圧し掛かる。どんな気持ちで言ったのか知りたかったけれど、アリューシャは下を向いてしまっていて、今どんな顔をしているのか見えなかった。
 また、重い沈黙が二人の間に流れる。
 それを打ち破るかのように、幼い声が響いた。声のした方を向くと、いつの間にかアリューシャの隣にいたはずの少女が私の横に立っていた。ポンチョの裾を引っ張りながら、じっとこちらを見つめている。

「おねえちゃん、魔法使いなの?」
「うん、そうだよ。君と同じとこで昔暮らしてたの」

 小さい子に変なことは言えない。無理やり笑顔を浮かべながら、精一杯明るい声で答える。すると少女は、私の答えにぱあっと顔を輝かせた。一瞬で場が明るくなったように見えた。

「じゃあじゃあ!ユウもおねえちゃんみたいに魔法使いになれる!?」
「んー、ユウちゃんがみんなと仲良くして、賢くしてればなれると思うよ?」

 きらきらした子どもの無邪気な夢を壊すこともできずに、当たり障りのない答えを返す。返事を聞いて、少女は満面の笑みを浮かべた。そのことに、ほっと胸を撫で下ろす。

「ちょっと、無責任なこと言わないで。変に夢を持たせないでよ。魔法なんて特別な人じゃないと使えないんだから。自分が使えるからっていい気になって。そういうところ、本当大っ嫌い」

 アリューシャの鋭い声が響く。それに、心が刺されたように痛んだ。けれどそれよりも何よりも、言った本人の様子に胸が痛んだ。アリューシャは、自分が刺されたような顔をしていた。自分の言ったことが信じられないといったような顔。そんな顔を見るのが、言われたことよりも苦しかった。

……もう行くよ」

 短く言い放つと、アリューシャは背中を向けて歩き出した。少女は、どうすべきか迷うように私とアリューシャを何度も交互に見ていたが、やがて慌てて彼女の後を追いかけた。
 遠ざかっていく背中を眺めながら、引き留めることも、立ち去ってしまうこともできずにただただ立ち尽くす。傍を通る人に時々ぶつかられたりもしたが、色んな思いが混ざり合ってその場から動くことができなかった。




 どのくらい歩いたのだろう。気づけば、見たこともない場所に来ていた。日も暮れはじめていて、空は橙色に染まっていた。
 さすがに疲れてしまって、近くにあった公園に入る。幸いにも公園には人っ子一人いなくて、中に置かれていたベンチに腰を下ろした。
 一度腰を落ち着けてしまうと、さっきよりも色んな考えがぐるぐる頭の中を回り出した。
 結局、師匠が言ったことの方が正しかったんだ。アリューシャの気持ちなんて少しも考えていなかった。ただ、自分の気持ちばかり優先して、結果、アリューシャを傷つけた。

……もう、最低だ私」

 自分だって、もしもこれが逆だったら会うのが複雑だったかもしれない。孤児院にいることに恥ずかしいとか思うわけじゃない。だけど、どうしても頭によぎってしまう。突きつけられてしまう。自分にはどうにもできない力の差。それによって生じる格差。きっとそれで生まれる感情は、自分ではどうしようもないのだろう。
 無意識のうちに眼に涙が混みあがってきた。零れないように、慌てて手の甲で擦る。それと同時に、ふわりと肩に何かがかけられた。嗅ぎ慣れた洗剤の匂いが鼻孔をくすぐる。驚いて振り返れば、昨日ぶりに見る仏頂面が眼に入った。

「風邪ひくぞ」

 そう言うと師匠は、隣に腰を下ろす。古いベンチはギシリと音を立てて軋んだ。
 肩にかけてくれたのは、毛糸で編まれたショールで、ポンチョでは少し肌寒くなってきていた夕方にはぴったりの物だった。

……どうしてわかったんですか」
「どっかのバカがふらふら歩いてるのを見たって、郵便が教えてくれた」

 昨日水をかけてしまった手前、素直に顔は見れなくて、前を向いたまま尋ねる。師匠もそれがわかっているのか、私の方を見ようとはしなかった。その優しさが、今は余計に心に染みる。

「師匠は、全部わかってたんですか?」
「だいたいは予想がついてた。片方が見習いになって軋轢が生じるなんて、この世界じゃよくある話だろ」
「はああ、本当に私なんにもわかってなかったんですね。何でなんだろ、こんなことで壊れたりしないって思ってたのに」
「人は、自分に無いものには敏感になる。自分ではどうにもできない才能とかなら尚更だ。それが、妬みや嫉みを生む。たぶん気づいてないだけで、誰にでもある感情なんだろうな。だから別に、今回のことはお前が悪いとかそういうことじゃない」

 いつもは反抗ばかりするけれど、その言葉はすとんと胸の中に落ちた。それと同時に、つんと鼻の奥が痛くなった。泣きそうになっていることに気づいて、慌てて鼻を吸う。

「でも、傷つけてしまったのには変わりありません」
「お前は……妙なとこで自分に厳しいよな」

 むきになって言い返せば、師匠は笑いを含んだ声で言った。ちらりと視線をやれば、困ったような呆れたような、何とも言えない顔で笑っていた。それになぜかどきりと鼓動が跳ねて、慌てて視線をもとに戻す。師匠はそれには気づかなかったようで、前を向いたまま話を続ける。

「別に故意でしたことじゃないんだから、気にすることはないさ。もちろん反省はしろよ?けど、必要以上に気に病むな。知らなかったのは仕方ないことだから、反省して繰り返さなければいいんだよ」

 わかったな?そう言って私の頭をぽんぽんと叩く。いつの間にかフードが外れていたのか、手の温もりが直に伝わってきた。その手の温かさに、収まっていた涙がまたこみ上がってくる。涙を見られたくなくてそっぽを向こうとすれば、師匠に腕を掴まれて止められた。そのまま腕を引かれると、バランスを崩して師匠の胸になだれ込むような形になった。

「ちょ、乙女になにするんですか!」

 胸板を手で押し返して距離を取ろうとするが、そのまま背中に腕を回されて、師匠に抱きしめられてしまう。口を開いている時に胸に押し込められた反動で、むぐっと変な声が口から洩れた。

「乙女って、まだ8歳だろ。恥じらうような歳か。子どもは、大人しく大人に甘やかされてればいいんだよ」

 ほら、泣いとけ。そう言う声が頭の上で聞こえた。師匠の一言で涙腺が一気に緩んで、堪えていた涙が次から次へと零れ出す。涙でシャツが濡れるのもいとわずに、師匠が背中に回した腕を緩めることはなかった。

……ししょー、昨日はすみませんでした」

 直接言うのは気恥ずかしくて、抱きしめられた形のままぼそりと呟く。聞こえないかなと思っていたが、耳がいい師匠にはばっちり届いていたようで、んっと短い返事が返ってきた。
 ぽんぽんと、一定のリズムで背中を叩いてくれる。それで余計に涙が止まらなくなるのを、師匠は知らないのだろうか。

「言っとくが、鼻水はつけるなよ」
……
「おい、まさかもうつけたんじゃないだろうな?」
「やだなー、つけてませんてば。ほら、ちゃんと叩いててくださいよ」

 おちゃらけたように言えば、上から呆れたようなため息が降ってきた。けれど、なんだかんだそのままあやしていてくれるのだから、師匠は本当は優しいのだと思う。

 背中がほんのりと熱をもっていく。それが、夕日に照らされているからか、師匠の手が回されているからかはわからないが、願わくばこの優しい時間がもうちょっとだけ続けばいいのにと思った。







 後日、私のもとに一通のはがきが届いた。差出人の名前もないそのはがきには、”ごめんなさい”と一言だけ書かれていた。けれど、その懐かしい筆跡に思わず顔が綻んでしまった。

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